| もんぞう's profileモンローグPhotosBlogLists | Help |
モンローグ東アジアと映画と食事と、まあいろいろと November 19 ハングルの島、現る2009年11月19(木)
朝、家を出てから寒さに閉口。コートを着てもよかった。
ローマ字で国語を表記する国は多い。もちろんフランス語のアクサンやドイツ語のウムラウトのように、それぞれ固有の表記法がある。日本や韓国、ベトナムは漢字を使ってきた。日本には漢字を変化させて作った仮名文字があり、ベトナムにはチュノムがあった。もっとも現在のベトナム語は公式にはローマ字表記であり、インドネシア語もタガログ語も同様である。
では文字を持たない言語を表記する際に何を使うのか。アイヌ語の場合は日本語のカタカナを使う。カ行に半濁点がついたような独特の表記も混じっている。与那国語はどうだろう。ある国際機関においては独自の「言語」として扱われることがあるが、日本では「方言」として扱われている。これもひらがなで表記されている。
今年、インドネシアのブトン島のバウバウ市が、文字を持たないチアチア族の公式文字としてハングルを採択したというのは興味深い。ハングルが他国の公式表記文字として採択されたのは、もちろん初めてのケースである。道路標識などのハングル表記が定着したら面白い。もっとも、文字はハングルだが、言葉は韓国語とは似ても似つかぬチアチア族の言葉である。韓国人にとっては、読めるけど意味が分からないという、面白い体験になることだろう。
韓国のサイトに「ハングルが世界で最も優秀で、独創的な文字と主張するが、今までは韓国語以外の言語圏でハングルが文字として使用された前例はなく、証されたものではない。チアチア族がこれから生活する上で不都合が生じなければ、ハングルの優秀性がある程度は証明できると言える」とあった。ハングルは確かに合理的である。しかしそれはあくまで韓国語という言語を表記する上でもっとも合理的なのである。(ローマ字でもカタカナでもちゃんと表記はできない)。チアチア族がハングルでの表記に不都合を感じないとすれば、彼らの発音体系が、ハングルでの表記に合っていたということである。
『黄金時代』の13話を見る。三越百貨店が悪役にされている。しかし昭和10年代の設定なのに、日本語の文書がワープロ書体ではねえ。 特攻兵からニュースキャスターに2009年11月18(水)
元参議院議員の田英夫が死去。86歳。この人も元特攻隊だった。といってもパイロットではなく、ボートに爆薬を積んで敵艦に体当たりする海軍震洋特攻隊。岡本喜八監督の映画『肉弾』のあれである。田氏は『肉弾』を観ただろうな。
彼はTBSのニュースキャスター第1号である。不勉強だが、TBS闘争の渦中の一人だと知った。
1960年代後半から、自民党のタカ派は、TBSは左寄りの偏向報道だと非難していた。特に閣議で偏向報道であると問題視されたのは、1967年2月9日放映の『現在の主役 日の丸』、同年10月30日の『ハノイ ‐ 田英夫の証言』の2本。前者は日の丸について大勢の人に質問を投げかけるもので、後者はニュースキャスターの田英夫が日本のマスコミとして初めてベトナム戦争中の北ベトナムに取材に行き、アメリカの報道が真実ではないと告発するものであった。後者の放送後、今道潤三社長らは自民党本部での懇談(田中角栄、橋本登美三郎、新谷寅三郎ら)の席で『ハノイ - 田英夫の証言』は偏向報道だと咎められた。自民党政権はアメリカへの配慮として、TBSに圧力をかけたのだった。橋本は「田をハノイにやれば、ああいう結果になるのは、分かっていたのではないか」と言い、今道は「ニュースのあるところなら、どこへでも人を出す」と反論したという。
結局、テレビ報道局の萩元晴彦、村木良彦の2人は異動となった。萩元は『日の丸』、村木は『ハノイ』のプロデューサーだった。報道局の組合側は「懲罰人事」だとして人事の撤回を求めた。田英夫はを突然キャスターを降板。最後の放送では経緯には触れず、いつもの「それではみなさん、また明日」の言葉を「それではみなさん、さようなら」と言い換えてTVから去った。これをきっかけに、組合員は「報道の自由は死んだ」として喪章を着け、TBS闘争と呼ばれる100日近くにわたる労働闘争に突入した。
後に萩元、村木らはTBSを退社し、テレビマンユニオンの創立に参加した。TBSを退社した田は、1971年に日本社会党から参院選の全国区に立候補してトップ当選した。やはり全国区は知名度がものを言う。
『ハノイ ‐ 田英夫の証言』の映像はこちら。http://www.youtube.com/watch?v=1G3WggfTYsY
韓国のメディアは天皇を「日王」と呼ぶ。日本に対して敬意を表すことはプライドが許さないとの感覚があるのかも知れない。これは韓国に関心のある日本人にはよく知られたことである。しかしこの呼称は1980年代に始まったもので、それ以前は天皇と表記していたらしい。実際には「天皇」の表記も混在し、メディアの足並みは揃っているわけでもない。その一方で、韓国政府は、「天皇」は日本の固有名詞なのでそのまま呼ぶ、という立場をとっている。李明博大統領も「天皇」の呼称を使う。これは知らなかった。でも実際に政府の要人などが「天皇」という呼称を使った場合は、ネット上でバッシングを受け、論争を招くこともたびたびである。最近の韓国では日本の慣例通り「天皇」と呼ぶべきだという意見も見られるようになったらしい。韓国のあるブログには「オバマ大統領が腰を曲げる姿は印象的である。日本人の前で『天皇』を『日王』と呼ぶのは大きな失礼になるそうだ。日本人の友達がいる人や友達を作りたい人は基本的な礼儀をわきまえた方がいいだろう」とある。しかしそんな風に呼ぶ韓国人を実際に見たことはない。活字でならともかく。「日王」といっても、韓国人は「にちおう」ではなく「イルワン」と発音するだろうに。「天皇」だって「てんのう」ではなく「チョンファン」である。仮に「日王」という言葉を見ても、日本人にはとっさには意味が理解できないだろう。店の名前か何かと勘違いするやも知れない。福岡にはそんな名前の温泉もあるようだ。歴史上、外国に対して日本の王を名乗ったのは天皇ではなく、征夷大将軍の足利氏や太閤の秀吉である。
そう言えば、中国が天皇を「日王」と呼んだという話は聞いたことがない。
夜、渋谷東映にて、角川春樹監督の『笑う警官』(2009)を観る。長回しが活かしきれていない。画面に豊かさが足りない。どこかすかすかの映画。物語は原作と少し変えている。乙黒えりが出ているが、あまり顔が分からない撮られ方をしていて残念。この子は某スーパーのCMにレギュラーで出ているが、いつもカレンダーの中にいてロングショット。顔がアップになるのはいつもコンマ以下の一瞬のこと。 November 17 ベルリンの洪吉童2009年11月17(火)
冷たい雨。寒い日。戸塚に出勤。
先日土産にもらった映画雑誌「シネ21」にをパラパラとめくる。10月15日から20日まで、ベルリンで開かれた「第二回ベルリン・アジア映像映画祭」の記事がある。今年のテーマは「ディアスポラ、ジェンダー、民族」。オープニング作品はマレーシアの『タレン・タイム』(ハングル文字からの訳なのでタレンが何なのか分からない)。南北朝鮮、フィリピン、中国、香港、インドネシア、タイ、シンガポール、アメリカ、カナダ、その他ヨーロッパから出品されている。日本からの作品は記事には見当たらない。多分出てないのだろう。
北朝鮮からは『春香伝』、『怪傑、洪吉童』、そして『ある女学生の日記』の3本の劇映画が出ている。最初の2本は80年代に製作された時代劇で、イデオロギー色が薄く、外国受けのいい作品である。『ある女学生の日記』は数年前のカンヌ映画祭に出品した作品。
カナダからは韓国系2世のイ・ミンスク監督の『虎精神』(2008)。分断をテーマにしたドキュメンタリー。他に韓国から、プ・ジヨン監督の『今、このままでいいわ』、林順禮監督の『われらの性愛、最高の瞬間』などが出品とのこと。
韓国のテレビドラマ『黄金時代』の続きを観る。しばらく中断していたので。南大門市場を買収して三越百貨店を建てようという計画が出てくる。植民地時代にそんな計画が実際にあったのだろうか。
■その無力さの恐怖(2)
この例示は映画で他の例示と鏡構造を成す。彼女は若い頃、トジュンが五歳の時に、農薬の入ったバッカスの瓶をトジュンに差し出したことがある。映画はフラッシュ・バックのように短く、そして説明もなく五歳のトジュンがバッカスの瓶を眺めるのを提示する。この場面は、あまりにも瞬く間なので、後で大変に××をすると意味と出会う場面だ。映画の構造は過去のさまざまな隣り合う部分をフラッシュ・バック、見せてくれるが見せてくれない。しかしまさにこのフラッシュ・バックが映画の深い罪意識と触れている。マザーとマーダーとしてのママは、トジュンが五歳の時に始まったパターンで、ママはこの事件以後、トジュンに毒薬ではなく良薬だけを服ませる(服ませたと述べる)。映画は、そうかと思えばマザーがトジュンが殺人者であることを発見しながら、そしてそれに関する証人を殺し、マザーがトジュンを求めながら起きる悪魔的救済の瞬間という倒錯的救済の過程を扱う。すなわち、息子が殺人者であるという事実を受け入れる瞬間が、彼女には地獄であり救済である。息子とマザーとの連結の輪は、ここでまたへその緒のように結ばれる。トジュンが殺人現場で発見した彼女の××鍼術道具が再び彼女に渡されて、これらの沈黙の連帯は決して切ることができないことになる。 November 16 東芝IHI館2009年11月16(月)
夕べ観た「サザエ、万博に行く」の巻で、磯野家が見学していたパビリオンは東芝IHI館だった。やはりスポンサーであるからね。ドラマの中では一度も東芝とは言わないし、東芝であることを示す看板も映らないところは奥ゆかしい。でも当時の子供たちはまるで怪獣の名前を覚えるかのように、パビリオンの名前を覚えたと言うから、すぐに東芝のパビリオンだと分かった人も多かったのかも知れない。館の全景を見たカツオは「姉さん!怪獣がいるよ!」と叫ぶ。大阪万博のパビリオンは、確かに『ウルトラセブン』に出てくる宇宙人基地や宇宙船に似たデザインが多い。
『母なる証明』はまだ観ていない。今年の7月に韓国の映画雑誌「シネ21」に掲載された批評(の超訳)。
■その無力さの恐怖
韓国社会のジェンダーと階級、国家の問題を激しくからめた『母なる証明』
神話的恐怖がある。お母さんは生命を与えたので、その生命を奪い取ることもできるだろうという恐ろしさ。男性的不安の原初的例である。×××異にする女性性器がそのイメージの一つである。そうかと思えばパルマコン(pharmakon)がある。パルマコンは相反した意味である毒薬と薬を同時に意味する。パルマコンの治療的側面は毒薬の面貌が現われない時に可能になるのである。パルマコンが薬になるのは、また他の側面の毒が排除される時である。治療としてのパルマコンは、毒薬と薬の差が連続的に現れることである。マザー(mother)とマーダー(murder)の差。薬剤をそろえるマザーと、マーダー(殺人)をするマザー、ママとお母さんの変奏。
マザーとマーダーという原初景
映画は野原で踊る女(キム・ヘジャ)の上に「マザー」という字幕が浮かぶ。この誌面の「電影客桟」でチャン・ハンソクとホ・ムニョンがすでに長文の批評文を載せたので、私は短くいくつかの点だけ追加にとどめる。私は、例えばマザーの欲望が何であるか考える。彼女の必要は何だろうか? 足りないこと、あるいは溢れ出ることは何だろうか? 彼女は映画の導入部で踊り、最後にも踊る。初めには野原で一人で踊り、後になっておばさんたちに混ざって踊る。この踊りにリズムを与えたイ・ビョンウの音楽はコメントをする。メタ映画音楽。雰囲気と情緒を極大化して話に引きずられて行くアンビエント音楽ではなく、アイロニーと悲哀、喜劇性を表現する。あるいはある者の見当違いと似たり寄ったりで、またそれて表現する。それでマザーが映画の前と後で踊る時、我々は彼女の踊りを見るが多重意識を持つようになる。色々考えるようになる。何故おばさんの踊りが楽器その他のメタ・コメンタリーを受けるのか? 当然私はこのメタ的指示とママとお母さんで、マザーとマーダーでの履行が、毒薬と薬というパルマコン的二重的配列であり、生命と死の仕組みを作り出していると考える。このように見れば、この仕組みの中でマザーの現われた欲望はおばさんたちと一緒に踊ることである。その為、彼女は胸の中に固まったものを解かなければならない。彼女は自身に鍼を打つ。太ももの上、どきどきする胸の凝りを解きほぐすことができる針の席を、彼女は息子のトジュン(ウォンビン)に、さらに古物商の老人に話してきた。しかし実際にこの針術を施すのは彼女の体だ。自身の体にその秘訣針、針を挿入する。通俗烈女伝は未亡人が性欲を堪えるために太ももを針で刺したという話を伝える。ホ・ムニョンもこの点を指摘している。『母なる証明』では自衛や自虐の行為で、治癒や忘却であり、性欲や禁欲の場である。狂気がこの行為と場を行き来する。(続く?) 万博に行く磯野一家2009年11月15(日)
韓国の光州で出土した木簡から「畠」という漢字が見つかったという新聞記事。畠は日本で作られた国字である。戦前ならこれは日本人が朝鮮半島に進出した証拠だと主張するかも知れない。だが冷静に考えれば、畠という字が大陸か半島で考案された可能性が高いということである。そして何らかの理由で日本でしか使われなくなった…。「田」は元来中国でははたけを意味し、水を張ったたんぼは「水田」と表記した。新羅でも「田」は同じ用法だが、水田は「水」と「田」を縦に重ねた一文字で表記した。日本では「田」の一文字で「水田」を意味し、「畠」や「畑」という字を作った、というのが従来の定説。
夕方、テレビをつけると1945年6月に放送された『サザエさん』の再放送。「サザエ、万博に行く」の巻。非常に興味深い。アニメで再現される前衛芸術。当時は小学1年生だったのでたぶん観ていたはずだが、記憶にない。 November 15 帝都復興せり2009年11月14(土)
朝、東京駅の丸の内口を出て少し歩く。東京駅の工事の進行具合を眺める。外見上は思っていたほど進んでいないように見える。内側からやっているのだろう。丸い屋根になる気配は向側の東京中央郵便局も解体作業中。切り分けられた羊羹のような形になっている。
東京中央郵便局は1931年の竣工。設計は吉田鉄郎。解体に際してはいろいろあったが、結局保存には至らず。ブルーノ・タウトはモダニズム建築の傑作と称賛している。1999年にDOCOMOMOから日本の近代建築20選にも選定されている。個人的には壊すには惜しい建物だと思っている。
さて、本日はフィルムセンターにて試写。最初は『狂つた一頁』(1926)。フィルムで観るのは2度目か。新感覚派過ぎてタイトルの文字が読めない。基本的にこの時代はアールデコ調なのではあるが、極端にデザインがなされている。円谷英二の名はクレジットでは円谷英一とある。彼が監修したであろう、二重露光はカメラ内で行われる作業である。フィルムの走行距離を計測し、それを数値をもとに逆に巻き取ってから再撮影する。原理的にはメリエスと同じである。円谷プロがアメリカ製のオプチカル・プリンターを自前で導入するのは、1960年代の『ウルトラQ』製作の頃である。
あとは関東大震災関連の記録映画を中心に長短取り混ぜて上映。すべてサイレント。
『摂政宮殿下 活動写真展覧会御台覧実況』(1921)は、昭和天皇が皇太子時代に映画を観に行く様子を記録したもの。文部省の主催で東京博物館へ撮影機材なども見学。ミニチュアで作られたジオラマは一体何の撮影に使うものだったのか。
続いて『関東大震大火実況』(1923)。社会教育課が東京シネマ商会に委嘱したもので、地震直後の混乱する市街を記録したもの。倒壊した丸善。自警団の誰何(ちょっと怖い)。帝大前の尋ね人の貼り札。大量の死者を出した被服廠。東京女学院の学生による炊き出し。半壊した浅草十二階の発破による解体作業。微妙に残ってしまった壁が巨大なオブジェと化すのに苦笑する。バラックの屋台に見える値段、飯が7銭で味噌汁が3銭。ウィスキーが55銭。路上での散髪が20銭。住宅の再建が始まる。柱材にカンナをかけている大工の姿を観ていると祖父を思い出す。祖父は木工職人だった。僕が物心ついた頃には、もう職人の仕事は辞めていた。ある時、祖父は震災直後の東京に行ったことを話したことがある。復興のために日本中から大工が動員され、それだけでは足りず、木工職人だった祖父にも声がかかったのだろう。20歳そこそこだった秋田の田舎の青年が初めて目にした花の都・大東京は、あたり一面焼け野原だったのだ。祖父が再び東京に行くのは戦後も戦後、高度成長期の終わった後のこと。まったく違った街に見えたことだろう。
それから『関東大震災(伊奈精一版)』(1923)と、ハヤカワ藝術映画制作所制作の『猛火と屍の東京を踏みて』(1923)。後者には東京駅と中央郵便局がはっきりと映っている。今朝見てきたばかり。
東亜キネマの『大震災以前 帝都の壯觀』(1925)は、震災前の東京の姿を伝えるもの。と言っても、そもそもは震災の前に東京を紹介するために撮った映像を再編集したものであろう。ここに映る東京の名所というのは、後のはとバスの観光コースとよく似ている。東京観光の原型をみるようである。
『公衆作法ー東京見物』(1925)は、ユーモラスな東京案内映画。マナーや公共道徳を紹介する文化映画。洋行に出かけることになった息子を東京に尋ねる父と娘。東京に向かう列車の中で、はた迷惑なふるまいをする人々を紹介する。東京駅に着いた2人は息子に出迎えられて東京の名所見物。東京は人も車も多いということを示す場面に三重露光が使われる。『カメラを持った男』(1929)や『大都会交響曲』(1927)より早い。
東京映画社制作の『大禮記念 国産振興東京博覧会』(1928)を観ると、復興が進んだことを記念して大々的に博覧会を開いたことが分かる。博覧会の総裁は閑院宮殿下。数々のパビリオン。「樺太」「北海道館」「台湾館」「朝鮮館」などの看板が見える。台湾館に「台湾喫茶」という表示が見える。何を出していたのだろう。タピオカ入りココナツか?
東京市教育局社会教育課の委嘱で大日本教育映画協會が撮影した『輝やく大東京』(1930)は、半分が天皇の関係する行事に割かれている。
帝都復興院復興局が松竹キネマ・大日本教育映画協会に委嘱した『帝都復興』(1930)は、東京の復興が完了したことを高らかに宣言するもの。しかしこの帝都も15年後には再び廃墟となる。帝都復興院という役所がおかれたことから、復興が国家的大プロジェクトだった様子がうかがえる。 一刻を争う2009年11月13(金)
午後、出勤。もろもろ業務。
先日、友人の脚本家のサイトのエッセイを読むとテレビドラマの『JIN -仁-』について触れていた。僕と同じ箇所で気になることがあったようだ。現代から幕末にタイムスリップした脳外科医が手術を行なう。手術道具を運んできた武家の娘が麻酔薬を忘れてしまう。取りに戻ったらどれぐらいの時間がかかるかと尋ねると、「一刻」との答え。分とか時間でないと我々は把握できない。「一刻とはどれぐらいですか?」と聞き返すが、娘には質問の意図がわからない。「一刻は、一刻でございます」。俗に「一刻を争う」というが、「一分一秒を争う」と表現した方が現代の時間感覚にあっているのだろう。一刻は今の約30分なそうな。
某出版社の編集者とたまたま同席。松本清張のテーママガジンの編集を担当しているとのこと。『点と線』について新たに調査したことについていろいろ話を聞く。映画版の話をする。刑事を演じた加藤嘉は当時42歳。老けてたなあ。 November 13 南大門が開いている2009年11月12(木)
少し寒い朝。
最近、授業をしていて気がついたのだが、学生たちは少し時代が遡ると俳優の顔と名前をあまりよく分らなくなる。たとえばテキストに出てきた小林桂樹、佐分利信など。顔を知ってるかと問うと、わからないと答える。見れば分かるのかも知れないが。先日亡くなった森繁も微妙である。彼の現役時代を知らないのだから。
午後の授業を終えてトイレに行って気がついた。ズボンのファスナーが開いていた。開きっぱなしで1時間半授業をしていた。夕方のゼミでその話をすると、韓国人留学生から、「社会の窓」が開いていることを韓国では「南大門が開いている」と表現することを教えられる。イタリアでは「店が開いている(Hai la bottega aperta)」と言うらしい。
佐藤純弥監督の『人間の証明』のデジタル・リマスター版を観る。このDVDは現在の角川映画が発売元。つまり春樹が追放された後、弟の歴彦が社長となった角川書店が大映を吸収して成立した角川映画。しかし作品は角川春樹事務所の製作。春樹の追放後、彼が製作した角川映画は、弟の角川映画が版権を持った。春樹は訴訟を起こし権利を取り戻そうとしたが、敗訴した。デジタル・リマスター版を観ると、冒頭にあったはずの角川映画のロゴ(火の鳥が地球を飲み込むアニメ)は削除されている。
今夜の『不毛地帯』を見そびれた。録画するのを忘れていた。今夜あたりから、旧映画版では描かれなかった章に入るはず。 November 12 特攻兵士から黄門さまへ2009年11月11(水)
朝、母の電話で起きる。僕の中学時代の恩師が、小玉醸造内に先日オープンしたギャラリーに来た帰りに立ち寄ったとのこと。先日の高校での講演の感想を語っていったよし。卒業して30年たっても、家を憶えていてくれている。有りがたいことである。
長い会議の日。
誉田哲也の「ソウルケイジ」を買う。「ストロベリーナイト」と登場人物は同じ。
テレビドラマで水戸黄門を演じた西村晃と佐野浅夫の共通点を知る。敗戦間際に特攻兵だったが、生き残ったということ。パイロットの西村は飛び立ったが天候不良で戻ってきた。対戦車肉弾攻撃訓練を受けていた佐野は出撃を前に敗戦を迎えた。応召直前まで所属していた劇団は広島で被爆した。
淀川長治の命日である。もう10年が経った。存命なら100歳である。
日曜洋画劇場での最後の解説は、1998年11月15日放送の『ラストマン・スタンディング』。解説の収録が行われたのは死の前日の11月10日だった。かすれる声で「ごめんなさいね、聞こえますか? あなた、聞こえますか?」と語りかけていた。 November 11 「なんだ、君まだいたのかね」「は、社長」2009年11月10(火)
出勤しようと、ぎりぎりの時間に駅に行ったら人身事故。ちょうど黒いビニールに包まれた亡骸が担架に載せられて改札を出てくるところに遭遇する。イヤハヤ。
結局、5分ほど遅れる。
森繁久弥が今日の朝、老衰のため死去。96歳。授業で使うビデオに彼の姿が出てくるたびに「今日のところはまだお元気の筈です」と、随分と失礼な合いの手を入れてしまっていた。申し訳けありません。合掌。この方も随分とたくさんの芸能人を見送ってきた。
東宝の映画でおなじみだったが、個人的にはキャべジンのテレビCMで顔を覚えた年代である。
大阪府枚方市の出身だが、あまり関西弁を使っているイメージがない。満州国の新京(長春)の放送局のアナウンサーだった経歴は、後の『社長洋行記』や『駅前旅館』で披露した中国語に反映されていると聞く。小説「帝都物語」の「満州編」には実名で登場する。もちろんフィクションである。
福岡伸一の「生物と無生物のあいだ」を買う。
夜、後輩の写真家から電話。ソウルでの展覧会からもう戻ったのかと思ったが、どうやらソウルで食事中らしい。「水って韓国語でなんて言いますか?」。「ムルだよ。ムル チュセヨ」。食堂の人に水を頼みたかったようである。その単語ひとつのためにわざわざ国際電話。 November 10 二日酔いならぬ、二日満腹2009年11月9(月)
昨夜は『仁 -JIN-』を観た後眠ってしまった。食事の量を減らさないとだめだ。最近は外食しても、ミニサイズのある店が増えてきたので助かる。胃袋が老人化している。でもこの間は松屋で生姜焼き定食を「ご飯抜きで」と頼んでしまった。
一日、原稿仕事。
ベルリンの壁が崩れて(正確には崩れ始めて)20年である。ついこの間のことのような気がする。
ベルリン映画祭帰りの配給業者が、お土産に壁の欠片を持ってきたのを思い出す。 麻婆豆腐、食べ過ぎ2009年11月8日(日)
近所の古本屋で佐々木譲の「夜にその名を呼べば」、誉田哲也の「ストロベリーナイト」、志村幸雄の「笑う科学 イグ・ノーベル賞」を買う。
原稿仕事。構成をばっさりと変える。
夕食に、近所の中華料理屋へ久々に。麻婆豆腐。食べてから失敗に気がつく。この量は食べられないのである。帰宅すると眠くなってしまう。 November 08 噛みますよ2009年11月7日(土)
午後、ある英会話学校の東京本社にて、桂かい枝の英語落語。ずっと英語でやるのかと思ったら、英語落語に関するお話の方がメイン。なかなか笑わせてくれる。アメリカや東南アジアで英語落語を披露した際のエピソード。
彼は東京をサムライの町だと感じるらしい。大阪よりも生真面目だという。その実例がまた笑わせる。上野動物園の虎の檻の前には「虎は猛獣です。絶対に手を出さないでください。万一怪我をしても当園は一切責任を負いません」といったような、まじめで硬い文言が掲げられている。これに対し天王寺動物園の場合はシンプルな一言。
「噛みます」
一旦帰宅し原稿仕事。夜、ピカデリーにて『沈まぬ太陽』を観る。原作は読んでいないが、コンパクトにまとまっているのだろうと思わせる脚本。モデルとなったJALは、会社のイメージダウンを危惧して抗議しているようだ。もちろん映画では会社名も政治団体名も人名も仮名となっている。そもそもフィクションである。実名なのは御巣鷹山という地名。あの墜落事故の日は大学の4年で、事故の一報は、大学の先生の家で食事をしていた時、テレビで見た。
映画の途中で10分の休憩が入る。フィルムを止めるわけではなく、「休憩」という文字がBGMとともに流れる。映画館で「休憩」入りの映画を見たのは『七人の侍』のリバイバル上映以来だ。この尺で休憩が入るのは、観客の年齢層が高いことを予測してのことだろう。 テレビドキュメンタリーの総括2009年11月6日(金)
午後、I書店のW氏と本の打ち合わせ。テレビドキュメンタリーのVを数本お貸しする。 November 07 戦闘機の購入2009年11月5日(木)
いつもよりも早めに出勤。新しいパソコンが届いているが、本日はセッティングする時間がない。
NHKの古いドキュメンタリー番組『日本の素顔』の「自衛隊」を観る。ちょうど戦闘機の購入問題に関して議員が答弁する場面がある。『不毛地帯』のモデルとなった事件である。
韓国人留学生がスクルージの名を口にするが、日本人学生にはピンとこない。日本では『クリスマス・キャロル』のあらすじはあまり馴染みがないのだね。
夜、研究室で作業。 November 05 太郎故事2009年11月4日(水)
今朝は夕方、研究室で映像資料の整理。テープの中身を確認してラベル貼り。不要になったテープが20本ばかり出たので、録画用に取っておく。
平田オリザは、先月内閣官房参与になったのだった。文化を中心に国際戦略や情報発信について鳩山由紀夫首相に助言を行なうのだという。
クロード・レヴィ=ストロースの訃報。100歳。10月31日から11月1日にかけての夜に死去。そういう場合、命日はどうなるのか。
文化人類学と言えば、高校時代に見たNHKのドラマ『太郎の青春』を思い出す。曽野綾子が息子の太郎をモデルに書いた小説「太郎物語」が原作である。太郎は名古屋の大学に進学し、文化人類学を学ぶ。確かドラマの最後は大学院に進学するのだったか。あるいは後から読んだ小説の記憶だったか。高校生の僕は、このドラマを見て文化人類学をやるのも面白そうだなと思った。というか、大学生になるのは楽しそうだと単純に思った。「二十歳の原点」と同じ頃に読んだような気がする。その頃、高校生の平田オリザは自転車で世界旅行をしていた。現実の太郎も文化人類学者となった。三浦太郎である。 ドラマの主演は当時売り出し中の広岡瞬。三浦朱門がモデルの父役には長門裕之、曽野綾子がモデルの母役には岸田今日子。三人の掛け合いは面白かった。 November 04 ケバブで昼食2009年11月3日(火)
今朝は秋田も雪が降った模様。積もっちゃいねえだろうが。
午後に遅い昼食。近所にできたケバブ屋さんにて。
『パンドラの匣』のサントラを買う。と言ってもCDではなくネットで音声データを買ったのである。初めてi-Podで音楽を購入した。i-Touchにダウンロードすると、画面にジャケットも表示される。なるほど、そういう仕組みなのか。 ケーブルテレビをつけると昔の『大江戸捜査網』。め組となんとか組が祭りで太鼓の打ち比べ。しかしめ組の奏者は前日になんとか組との喧嘩で腕を痛めている。まるで『嵐を呼ぶ男』である。 夜、ラピュタ阿佐ヶ谷にて佐藤慶特集。村野鐵太郎監督の『銭のとれる男』(1966)。ミもフタもない題名だが、ストーリー展開も何だか劇画のようだ。主演は田宮二郎。自動車整備工だった青年がトランペットを仕込まれてスタープレイヤーに。そして稼いだお金でオートレーサーを続ける。絵に描いたような自信過剰のハネッかえり。女とのトラブルがもとで右手を負傷し、トランペットが吹けなくなる。ヤケになって車を飛ばし、とある地方の町へたどりつき、ガソリンスタンドに身を寄せる…。佐藤慶は主人公の恩人にして、バンド・マスターのピアニストの役。怪我で楽器が扱えなくなるのは、昼間見た『大江戸捜査網』とシンクロしていたりする。 翔田寛の「祖国なき忠誠」を買う。 夜、田中重雄監督の『共犯者』(1958)を観る。ケーブルテレビで録画したもの。松本清張原作のサスペンス。 November 03 んだすけまいね2009年11月2日(月)
寒い日。急に寒くなった。森見登美彦の「宵山万華鏡」を買う。
FOX CRIMEを見ていると、エアインディア航空機爆破事件のドキュメント。爆弾の一つは成田空港で爆発した。1985年6月23日の成田空港手荷物爆発事件である。その再現場面。現場を封鎖する黄色いテープになぜか兵庫県警の名前が。
今日は太宰映画の二連チャン。テアトル新宿にて冨永昌敬監督の『パンドラの匣』(2009)を観る。宮城県のある廃校を使った撮影。路線バスには仙北交通と書かれている。時代背景を説明するような古い流行歌などは避けられ、菊地成孔のボサノバ風の曲が流れる。戦前に作られたと思しき「オルレアンの少女」という歌も、実は映画用に作ったもの。当時いかにもありそうな感じ、がいい。後でパンフを開くと歌詞が載っていた。
山々よ 山々よ 愛しい牧場よ さようなら
安らかに 安らかに 静まる谷間よ さようなら
嘲りは 汝を砂塵に 委ねたり
ジャンヌは 往きます 戦いに
聞いている時は、「戦い」ではなく「戦ひ」という字を思い浮かべていた。
マア坊を演じる仲里依紗が可愛い。金歯がいかにもキュートである。少し顔がふっくらしたようだが、そのせいか顔だちが友だちのスージーに似てきた。
新宿ピカデリーにて、根岸吉太郎監督の『ヴィヨンの妻』(2009)を観る。セットがいい。中野駅のガード付近のバラックが立て込んだ一角の飲み屋街。それから中央線の電車の窓から見える吉祥寺駅や武蔵小金井駅のホーム。そして国分寺駅。鉄道オタクではないが、汽車や電車の場面には見入ってしまう。ただし電車の場面は夜の設定なので、ホームの柱や乗客以外は闇の中。
しかし寒い。明日は雪か? November 02 夢の女2009年11月1日(日)
今朝見た夢。これは以前によく見ていた夢で、今朝見るまで忘れていた。新宿の近くのとある一角に、古い酒場が密集した地域がある。ゴールデン街とは全く異なる雰囲気。焼き鳥や牛飯などを出す飲み屋が並んでいる。そこで知り合った女性とうんぬんかんぬん。夢の中で時々会っていたのだ、その女性に。しかし今朝の夢はその一角が見える場所に立っただけ。夢の中では、久しぶりにそこに来たことを自覚している。またそれが夢であることも自覚している。しかし女性の顔は思い出せない。彼女を探す時間がない(=もうすぐ目が覚める)ことも自覚している。また会えるのだろうか。
今読んでいる小説の中に出てきたジョーク。戦後もだいぶたってからのこと。海外視察に出かけた日本の国会議員。ローマの遺跡を見て言った。「イタリアはまだ戦災から立ち直っていない」。
朴正熙政権でナンバー2を務め、金大中氏拉致事件を主導したとされる元KCIA部長の李厚洛が、31日に脳腫瘍のためソウルで死去。85歳。
夜、ドラマ『JIN - 仁 -』の第4話を見る。前回は見そびれた。 November 01 トリトリスープ2009年10月31日(土)
部屋で作業。
夜、ホームパーティーへ。買ったおこわと貰いものの越乃寒梅などを持参。韓国料理のタットリタンをごちそうになる。しかし、この名前、タッは鳥のことだが、トリは日本語の鳥に由来するとのこと。つまり言葉の重複。植民地時代の名残でもある。最近はタッポックムタンと言い換えることもあるようだ。
訪問先が西武線沿いだったので、往き帰りに踏切を渡る。踏み切りなんぞを渡るのは実に久しぶりである。
知人の女性のブログを読んでいたら、勤め先の上司と付き合い始めたようである。ちょっと寂しい気がするのはなぜ。 October 31 湯上がりの男2009年10月30日(金)
今朝も自分が夢を見ているという自覚のある夢を見る。例えば自分の意志で右に歩こうとすると、ちゃんと右に歩ける。今度はもう少しやりたいことをやってみよう。
部屋で作業。北朝鮮映画のデータベースを新資料とつけあわせて修正。
地元の地方紙のコラムが先日の講演について触れている。
稚内では初雪。 October 29 ノゾミというのは、日本語で希望を意味する2009年10月28日(水)
朝、出勤。終日、委員会など。
韓国での『空気人形』評をひとつ。連合ニュースの配信記事を一件、ざっくりと訳してみた。釜山映画祭も終わったことだし、これから辛辣な批評も出るだろう。いやもう出てるか。
釜山映画祭 是枝「『空気人形』は詩」
是枝裕和(47)監督は、現在の日本映画を代表する40代の監督の一人である。彼には日常を穏やかに描きながらも本当の力を吹き込む才能がある。
彼は、技巧的には下手でも単純なカメラの動きだけでも感動を与える方法を知っている。例えば彼の代表作『誰も知らない』の最後の場面は、カメラをどのように動かし、どんな音楽を使えば、本当の瞬間を捕捉できるかを教科書的に見せる。是枝監督は、カンヌ映画祭の「ある視点」への招待に続き、今回の釜山国際映画祭で紹介された『空気人形』で初めてレールを利用して映画を撮った。レールの上に立ったカメラは、左右にゆっくりと滑らかに動き、人物の動線を追跡する。 是枝監督は、最近、釜山海雲台区の新世界センタムシティ店のとある飲食店でのインタビューで、「主人公の感情について行くため、撮影監督と議論してカメラを横に動かす方式を選んだ」として「レールを利用して移動撮影をしたことのは初めて」と言った。 ドキュメンタリー監督出身らしく、彼は野暮ったくはあるが心を動かす散文のような映画を作ってきた。ここで多少変化を見せたのは、前作の『歩いても歩いても』もそうだが、最新作『空気人形』ははるかに詩に接近した映画だ。カメラが非常にゆっくり動く理由も詩と同じ感じを与えるためである。「『歩いても歩いても』に比べて詩的な感じを与えようと、カメラ移動を実験しました。 『歩いても歩いても』は台詞が多かったんですよ。 『空気人形』では人物間の対話や独白よりは映像で語りたかった。特に余白美を与えたかったんです」。
彼に見慣れなかった移動撮影は、全面的にペ・ドゥナという立派な俳優がいたので可能だったと彼は説明した。「『空気人形』はペ・ドゥナの動線と感情に従っていく映画」という言葉も付け加えた。
「ノゾミ(ペ・ドゥナ)の感情の変化、ノゾミが見た風景に観客がついていく形の映画です。ノゾミという人物を通じて観客が観る映画でしょう。ペ・ドゥナといういい俳優がいたので可能な作業でした。 そんな優れた女優がいる韓国映画界がうらやましいです」。
映画は空気を注入して入れる実物大のセックス人形ノゾミ(ペ・ドゥナ)が、偶然を契機に人間の心を持つようになる話を描いている。避けられない人間の孤独と、孤独であるということ、そして人間らしいということとは何なのかに対し、映画は絶えず質問する。
「ますます空虚になる人間と、段々人間性を獲得していく人形を対にしてみようとしました。それを通じて人間性というのは何か、そして希望とは何なのかをノゾミという人形を通じて感じたらと思いました」。ノゾミというのは、日本語で希望を意味する。
ノゾミはDVD店で仕事をするジュンイチロウを通じて真の愛を感じるが、映画は結局悲劇に向かう。そしてノゾミの一番幸せな瞬間は間もなく最も不幸な瞬間に急変する。それはなぜなのか。
「ノゾミはますます人間的な感情を持ち、自分が感じる喜びを愛する相手にも伝えたい。 それ自体は素晴らしいことでしょう。 人間さえもそういう感情に到達しにくい。しかし純真無垢な愛というものは、時には傷を与えることもできる。結果的には悲劇だが、映画の最後にノゾミがこうした感情に到達したという点は祝福だと考えます」。
彼は「人々の代用品の人形が、レンタルビデオ店で仕事をして映画を通じて世の中を習うということ自体が面白いと考えて、原作の漫画を脚色して映画で作った」とし、「特にペ・ドゥナという素敵な俳優がいなかったら映画を作りにくかったこと」と語った。(2009.10.12 17:14) October 28 朴正煕30年2009年10月27日(火)
台風の接近で休講の可能性もあったのだが、きれいさっぱりと晴れて通常通りの授業。
昨日は安重根の暗殺から百周年だったが、実は朴正煕の暗殺も同じ日で、ちょうど30周年なのだった。図書館で東亜日報を読んでいて気がついた。奇妙な偶然である。
帰り道、佐々木譲の「愚か者の盟約」、重村智計の「『金正日』後の北朝鮮」を買う。
「金正日は日本人だった」などというトンデモ本のような題名の本がある。パラパラとめくると、そのような噂の真偽を取材する一方で、彼の日本に対する行動が親日感情の裏返しだということを解説する内容のようだ。シアヌーク殿下が北朝鮮で監督した親日映画『ポコールの薔薇』についても触れているが、著者は映画そのものを観てはいないらしい。 October 27 安重根100年2009年10月26日(月)
創立記念式典で会った26期生の元生徒会長の女の子から電話。勤めている保険会社の上司が僕と話したいという。そう、その上司とは僕の小中高時代の同期生である。懐かしい。小学校では同級だったが、中高では同期。何年かぶりに話す。彼女は小中高時代はアイドル的存在だったなあ。
今日は伊藤博文の暗殺から100年である。抗日運動家、安重根がハルビン駅で、伊藤博文・初代韓国統監を射殺暗殺したのが1909年の10月26日。やはり寒かったのだろう。
ハルビン市の朝鮮民族芸術館で中国在住の韓国人らによる記念式典が行われることになっているが、地元政府は中国国内の反日勢力を刺激することを警戒し、式典に関するメディアの報道を制限している。安重根を「世界的な英雄」として宣伝したい韓国と、それには冷ややかに対応する中国。そもそもこの式典はハルビン駅近くの中央大街広場公園で行なおうとしていたが、地元当局が難色を示して変更となった。2006年には、韓国人企業家らがこの広場に安重根の銅像を建てたが、「外国人の銅像建設は許可しない」との理由で中国当局に撤去されたこともある。
中国は安重根を重視していない。というか、暗殺を抗日運動の手段に選ぶという過激な民族主義を称えることは、現在の中国国内の社会不安に与える影響の方を懸念しているのだろう。中国の反日団体などの間では知名度の高い安重根だが、中国の歴史教科書や偉人事典ではほとんど取りあげられていない。昔、ハルビン駅のホームに立った時、事件の現場を示すプレートがすぐに見つけられなかったことを思い出す。
個人的には安重根の心情は理解する。しかしその後の歴史の展開を見れば、伊藤の暗殺が日韓併合の機運をかえって高めることになってしまったことは否めない。残念ながら、それがあの時代に生きた安重根の限界でもあった。
俳優の岩田安生が24日、肺癌で死去、67歳。テレビアニメ『サザエさん』の伊佐坂先生の声を担当した人。
今日は雨。昼、研究室へ。
学習雑誌「小学五年生」と「小学六年生」が休刊となる。休刊とはつまり廃刊である。しかし創刊が1922年の老舗雑誌である。僕は購読していた。もう総合誌の時代ではないのだろう。子供向けの学習雑誌にもそれが及んでいる。そう言えば、コースと時代、あるいは明星と平凡のような競合誌がなかったな。10数年前だったか、リニューアルして成功したような記事を読んだような気がするが。 落合淳思の「古代中国の虚像と実像」、佐々木譲の「巡査の休日」を買う。
新宿で、村山さんと蕭さんに会う。山形映画祭で3ヶ月インターシップをしていた彼女は今週台湾に帰国。 |
|
|||||
|
|